2012年12月12日水曜日

最終的な学力の伸びを保証するのは「何でも知ろう」という日常の態度

学力が伸びる人

とても真面目なのだが,学力の伸びが今一つ足りないという人がいる。
このような人には,「幅広い興味・関心」が足りない,という共通した特徴があることに気付く。
このような態度は,最終的な学力,とりわけ読解力や表現力の伸長を阻害し,
試験の答案作成のクオリティにも多大な影響を与えるから,注意が必要だ。

たとえば,このような人は,授業中に「雑談」をしても,あまり関心を示すことがなく,
また,メモをとったり,頷いたりすることもない。
「テストに出るよ」とか,「重要だから覚えて」と言われた場所は,しっかりノートにとって
覚えようとするが,「勉強」(狭い意味で勉強=試験の範囲)にしか興味がないから,
出る所だけ覚えようとする。
「何でも知ってやろう!」という気持ちがないから,最小限の努力で,テストを切り抜けようとする。

もちろん,試験勉強において効率を追求するのはとても大切だ。
常に効率を考え,無駄を避けるべく,工夫して勉強に取り組むのは,
むしろ試験勉強における必須の態度であるとすら言ってよい。

しかし,逆説的な言い方になるが,「知ること」自体に効率を求めてはいけない。
脳には記憶のリミットはないのだから,与えられた時間,知ることが可能なものは,
すべて知るように,覚えるように努力するのが大切である。
授業中など,あるいは,教科書を読んでいる時など,
「これは無関係だから」といって,理解しないようにするのは,もったいない。
興味を持って読んだり,聞いたりするだけでも,記憶に残ったり,
なにかの知識の足しになったりするものである。

たとえば,ベンジャミン・フランクリンについての英文が入試問題に出た時,
ベンジャミン・フランクリンについて何かしらを知っているひとは,全く知らない人に比べて,
圧倒的に有利な立場にあると言えるだろう。
ダーウィンについて全く何も知らない人は,「進化」について書かれた文章を読んでも,
多くのことを理解できないことになるだろう。
言語学について全く無知な人にとって,「言語の恣意性」というコトバの意味するところは,
全くチンプンカンプンだろうが,知っている人にとっては,何のことはない,当り前の話ということに
なるだろう。

「資本主義の精神」や「進化論」,「言語論」「文化論」などのテーマは,英語でも国語でも,
頻出のテーマである。
「単語」や「文法」,「構文」などを理解し,覚えるのは,当然であるが,
社会のあらゆる事象への興味関心や基本的な教養が欠けていると,
せっかく覚えたことを答案に表現できないことになる。

たとえ,「記述式」の問題でなくても,「マーク式」の問題であっても,事情は同じである。
抽象的に述べられているテーマについての具体事例を全く説明できないような文章に出会ったとき,(何を述べているのか,わからないので)それを表現する「選択肢」をマークすることが出来ない。このような人はとても多いのだ。

このような教養は,一朝一夕に身に着けられるものではない。
しかし,若いうちから,「何でも知ろう」という態度を持ち,意識を変えるならば,
普段の生活の中でも少しづつ獲得できるものだ。

時間がない人は(ない人こそ),「国語」と「社会」を勉強するのが良いと思う。
ほんとうは,様々な本を読みなさいと言いたいところだが,
直接的に受験に役立つかどうかは,わからない場合もあるし,
時間もかかる。
「国語」と「社会」は,国公立受験者なら,みな勉強する科目であるし,
センター試験を使った受験が可能になる分,選択肢も広がる。

急がば回れということわざにあるように,
広い教養を身につけるべく,「何でも知ろう」という態度で幅広く勉強してきた人が,
最後の最後には,急激な学力の伸びを経験できるのである。
最後に伸びる人,伸びない人,を類型化すると,以上のような結論を導くことができる。
私たち塾業界の講師たちの経験則は,ほとんど,この点について一致をみている。