2012年11月24日土曜日

【面接対策】成績が悪かった人は、「伸び率」をアピールしろ!


問:高校時代(浪人時代,大学時代etc)で,いちばん力を入れたことは何ですか?


■解説■
面接で聞かれる内容のバリエーションは多様だが,面接官が知りたいことはたった一つしかない。それは,あなたがどんな人物であるか,である。
本当に医療従事者にふさわしい資質を備えているのか,学力だけでなく,医療従事者としての倫理観を備えているか,厳しい学業をこなしていく気力・体力はあるか。計画性はあるか,地道さはあるか。本当に本学で学びたいのか。性格は前向きだろうか,慎重さは垣間見えるが,臆病すぎないだろうか。声が小さいが,コミュニケーション能力に問題はないだろうか…。
これら,すべての疑問を短時間に聞くわけにはいかないので,おのずと質問項目自体は,いくつかの典型的なものに絞られる。
その中で,もっとも重要な質問項目が「志望理由」(医師への志望理由と,「本学(医学部等)」への志望理由)であることは,先月号・先先月号ですでに述べた。なぜ志望理由が重要かと言うと,本当はそれほど医師(などの医療従事者)になりたくない人物や,目的意識のはっきりしない人物,ただ学科試験の点数が良いという理由しかないのに医師になろうとしている人物は,なるべく大学に入ってほしくないという事情があるからである。(ただし,数分の面接で,その人の真意が確実に見抜けるかどうかは別問題だが)。
そして,志望理由について,重要とみなされ,質問項目としてよく挙げられるのが,「高校時代(浪人時代,大学時代)で,いちばん力を入れたことは何ですか?」など,これまで(過去)における受験生の経歴とその自己評価を問う質問である。何を頑張ってきたか,何を達成してきたかを聞くことで,その人の学科試験の偏差値以外の資質・能力を見定めようとしているのである。
面接の対策をしていると,「とくに何も力を入れてきたことがない」,「何も成し遂げたことがない」,と悲壮感を漂わせて,「何も答えられない(答えられなかった)」と言って相談してくる人が,毎年のようにいる。
そういう人には,「勉強を頑張りました」と言いなさい(書きなさい=願書には)とアドバイスしている。少なくとも,1次試験が学科のみで,2次試験として面接が課されているような場合においては,「勉強頑張りました」は,何も問題ないどころか,「1次試験合格」というお墨付きを持っているわけだから,説得力がある。
「内申書」「成績証明書」の成績が悪いのですが…という悩みもよく聞く。はっきり言えば,現役高校生の推薦入試以外では,ほとんど内申書の成績など関係がない。むしろ,こんなに悪い成績だったのに,いま勉強を頑張って,この面接会場にまで辿り着いたんだ,というプロセスを具体的に語ることで,「努力できる」「やればできる」という一面をアピールすることが可能になるのである。
ただし,「勉強頑張った」というアピールについては,何を,どのように反省し,計画をどのように立て,どのように(地道に,コンスタントに)努力してきたか,何を工夫したのか,といった,具体的な方法とプロセスをわかりやすく説明できるようにしておくことがポイントである。
「頑張ったこと」として,生徒会活動や部活動を挙げる人は多い。しかし,これとて,それらを頑張って,何を得たのかという結論をきちんと話すことができなければ,アピールにならない。「学園祭実行委員長をやって,人の上に立つことの難しさを学んだ」などと抽象的なことを言っても,「あ,何も学んでないな,コイツは」と思われて,そのまま面接終了である。
どんな小さなことでも,そこから,今後の医療の勉強や医療従事者への道に関わるような,具体的な学びを見つけてほしい。「生徒会長やってました」(という俺はエライ!)というアピールは,レベルの低い自己主張にしか見られない。たとえ受験勉強くらいしかしていなくても,どのように誘惑に打ち勝とうとしたのか,どのような受験戦略を立て,どのように実行したのか,という努力の道筋を話せた方がずっとよい。
本をたくさん読んだとか,部活で体力をとにかく身に付けた,というのもアピールする価値のある経験である。(教養ある人はもちろんだが,とくに医師は体力勝負の仕事なので,健康で頑強な体力をもつ人は歓迎される)。
「役職」や「役割」ではなく,具体的な努力とそのプロセスをアピールし,「この人は本当に頑張れる人なんだな」と思わせるようにしっかり準備しておこう。
どうしても,勉強以外の何かを経験しておきたいという人は,若い人向けの「病院ボランティア」(夏休みなどに大学病院・市中の病院などでも募集している)に行ってみるとか,被災地域に関連するボランティアに参加してみるなどするといい。
1年間テレビは一切見ずに,骨のある本の読書・10冊に挑戦するとか,週1で単館系の映画をみるとか,そのような教養型の「経験」もよいと思う。
ただし,いずれも,学科試験が最優先であることを忘れずに。読書や映画は,小論文試験対策を兼ねるような内容のものを選ぶと,時間の節約にもなるだろう。

面接解答例:
Q:高校~浪人時代で,いちばん力を入れたことは何ですか?
A:はい,英語の勉強をとくに頑張りました。
Q:ほう。そうですか。英検3級と書いてあるけれど…。
A:はい,英検は中学生の時に取得したもので,そのあとは受験しておりません。
Q:どれくらい出来るの?
A:そうですね。高校二年のときに,全米高校模擬国連大会に参加して,さまざまな国の人々とディスカッションを行ないましたので,勉強した分野については,つっこんだ議論ができるレベルの会話力があると思います。
Q:そうですか,それはすごいですね。では,どんな分野に興味があるのですか。
A:はい,ちょうどその大会での経験もあって,今のところ公衆衛生の分野に興味があります。
Q:そう。将来何をやりたいの?
A:語学力に磨きをかけて,とくに東南アジア地域での医療活動に貢献できる医師になりたいと考えています。
Q:そうですか。ほかに頑張ったことはありますか?
A:はい,英語以外は,受験勉強を頑張りましたが,とくに数学に力を入れて勉強しました。
Q:点数,英語ほどは出来なかったみたいだけど。
A:はい,それは率直に認めます。ただ,個人的には,ほとんど未履修の科目を1年で人並みにまで持ってくることが出来たので,もう少し時間があれば,もっと出来るようになっていたと思います。
Q:1年というのは?どういう意味なの?
A:はい,実は,高校2年の終わりころまで,外交官志望で,そのこともあって英語の勉強に力を入れていたのですが,最後に医学部志望に変わって,それからほとんど独学で数ⅢCまで勉強を進めたのです。
Q:おお。それはすごいね。そうだったのか。良く頑張ったね。どうやって勉強したの?
A:はい。ありがとうございます。勉強は,受験勉強法の本をたくさん漁るようにして集めて,数学の勉強について読み倒し,一番普遍性がありそうなやり方を見つけて実行しました。
Q:どんなやり方?
A:定評のある問題集を6回ずつ繰り返しました。
Q:それは凄いや。よくやったね。
A:はい。ありがとうございます。おかげで,思考力もつきましたし,自信もつきました。
Q:ところで,体力や健康には自信ある?
A:はい。特に運動はしておりませんでしたが,今までほとんど風邪も引かずやってこられましたし, 体力もあると思います。
Q:もともとそうなの?
A:いえ。子どものころは,比較的虚弱でしたが,中学,高校と3キロほどある道のりを徒歩で毎日通学しておりましたら,自然と体も強くなったようです。
Q:そう。それはよかったですね。では,面接はこれで終わりです。お疲れさま。
A:ありがとうございました。

2012年11月13日火曜日

[勉強法] 「センター試験」の読解力

 センター試験(国語、英語、その他)の指導をしていていると、「~について説明しなさい」といった類の設問が求めている能力は、ほぼ一定して「言い換え力」であることに気が付く。

 傍線部の語彙、センテンスを、別の言葉・表現を使ってどのように言えるか、このような能力である。パラフレーズ、シソーラス、同義語、・・・どのように言ってもいいが、とにかく、同じ内容を様々な表現に言い換えることができるか、これがセンター試験の求める読解力である。そして、この能力は、等しく、国語、英語をはじめ、理科、社会、においても必要な力なのである。

2012年11月9日金曜日

相変わらず出鱈目が多い小論文指導

小論文の参考書を見ると,

新聞のコラムを読め
社説を読め
投書欄を読め

など,日常的な新聞購読を勧めるものがおおい。
購読を勧めるのはまだ良いが,コラム・社説を参考にせよ,とまで言う。

はっきり言って,出鱈目です。

まず,新聞を読んだ方が良い,というアドバイスの理由とされているものには,
ベテランの記者の「論理的」文章を読める,参考に出来る,というのがある。
新聞のコラムの特徴は,「アピール」だ。 その結果,論理よりも,飛躍,想像力を利かせた「読ませる」文章がはびこることになる。
新聞のコラムも社説も,決して論理的ではない。
コラムは,主題に一見関係ない身近な問題から説き起こして,言いたいことに,無理やり結びつける。この飛躍やアナロジーの巧みさが,読ませる文章の完成度を決めるのである。
社説は,あまりに政治的である。政治的ということは,スポンサーの意向に論理が左右されるということである。TPP参加をめぐる議論を見ると,大新聞マスコミすべてが賛成一色。戦時中の大本営発表さながらの不気味さである。これだけたくさんのイシューがある問題に,マスコミの論理が一色であるはずがない。論理の歪みが出てくるのは,必然である。

こんな,いまの日本の新聞記事の性質を分かっていて,あえて「新聞を参考にしよう」と言える小論文指導者が言えるとしたら,それは,どこからかスポンサーが出ているか,本当の愚か者か,どっちかだと考えてよい。

新聞を読めというのなら,学者・専門家のオピニオン欄を読んで参考にするのはよい。
ただし,文章の模範としてではなく,あくまでもネタ,知識獲得として利用するのが良い。

大学入試小論文の文体見本として利用できるのは,司法試験等の論文解答である。
字数が決まっている中で,出題に対して,意見と根拠を,わかりやすく叙述する。
これをひな型に,練習を積むのが良い。

受験準備にかける費用について

時間をかけず,お金をかけず,できれば苦労もかけず,楽に大学に入りたい。

だれでも,そう願うものです。
しかし,いいとこ取りはできません。


◎受験は,「時間」×「勉強量」(インプット)=「成績の伸び」(アウトプット),です。

(ただし, 勉強量は,時間当たりの勉強量(質の高い勉強)=勉強の濃度で考えます)

 だから,アウトプットを良くするためには,

(1)時間をかける
(2)単位あたりの勉強量を増やす

のいづれかしかありません。

究極的には,変数が二つしかないから,選択肢も二つしかありえません。


時間をかけられない人や,時間をかけたくない人は,
(2)の濃度を上げるしかありません。つまり,効率性の追求です。

医学部の受験といえども,所詮は大学受験,18歳程度の知能で受かる試験にすぎません。だから,時間がある人にとっては,たとえば,朝から晩まで仕事のように勉強に励むことが出来て,健康で集中力があれば,独学でも合格できる人はいることでしょう。
また,スタート時の学力が非常に高い人は,成績の伸びもそれほど必要ないので,それほど時間をかけずに,合格水準に持っていくことは可能でしょう。
しかし,高校時代の勉強を忘れてしまっている人や,まだ履修がおわていない科目がある人,学力が未だ低い水準にある人などは,(1)か(2)を,できればその両方を確保できるように考えなければなりません。

時間は増やせません。だから,多くの人にとって確実なのは,(2)を徹底して追求することです。
(2)を改善するためには,費用をかけるしかありません。
良い教材をそろえ,人から教わった方が良いところは教えてもらう。
理解したり,暗記したり,覚えたり,このような自分でしかできないことに力を集中し,
スケジュール管理,情報収集,実力判定,教科指導,理論・理屈の説明などを,「お金で買う」のです。これらを提供するのが,予備校の役目です。

自分は,どの程度のスタートラインにいるか(与件)を知った上で,(1)(2)の変数のどの程度の組み合わせが良いのか,よく考えてみましょう。

費用については,「出世払い」を約束して,家族・親戚・縁者に頼むのが本筋です。
誰にも迷惑をかけたくない。これはきれいごとにすぎません。
結局受験が長引いて,余計な心配をかけるのが関の山です。

学費をケチらない。これは,効率性の追求に欠かせない重要な考え方です。





[エッセイ]どうしてかくも本気の指導が可能なのか?

予備校や塾を非難する文言で,よく見るのが「商売でやっている」「儲け主義」・・・など,教育のビジネス的側面に対する中傷である。

もちろん,商売を目的とした,純然たる「教育産業」も存在する。しかし,多くの予備校や塾は,利益の追求を至上命題とする企業の論理からほど遠いところで,ほそぼそと事業を続けているのが実態である。そもそも,塾や予備校はそれほど儲からない。少なくとも,インプットする投資(お金,時間,労働力・・・)に対するアウトプットが少ない。利益率,ということで考えれば,率は高いが,その分,人間を相手にした長期間のサービスであるから気苦労も絶えず,このような目に見えないインプットも金銭化して計算したら,トータルの利益率は限りなくゼロになってしまうだろう。

それでは,なぜ塾などをやっているのかと聞かれれば,人が成長するのを助けること,教えて分かってもらうことに喜びがあること,そんなところだろうと思う。

しかし,多くの予備校や塾は,件の低い利益率の問題に頭を悩ませた結果,大規模経営に走るか,気苦労のない手軽な指導に徹するか,という道を選ぶことになる。塾を経営体と見た場合には,やむを得ない選択であり,それ自体には非難されるべき理由は見当たらない。塾からDMが届いただけで「商売でやっている」「けしからん」という反応をする人がいるが,そういう非難は子供じみたものである。経営が成り立たなければ,教育サービスは成り立たず,すべてを公教育に任せなければならないという社会主義的な理念を是としないかぎり,それは,教育の多様性を損ねてしまう可能性すらある。

大規模経営や気苦労のない経営を目指さず,深いコミットメントを保ちつつ,それぞれのスタートとゴールに合わせた勉強指導を成り立たせるには,公的なサポートも必要かもしれない。しかし,そのような「補助金」や援助が得られない純然たる私立の塾,私塾が,生徒一人ひとりへのコミットメントを継続させていくことを可能にするためには,なにが必要なのか。

おそらくは,塾の経営者の教育への思い入れしかないと考える。社会制度の設計を考える場合には,そのような経営者の資質を前提にした議論は,処方箋になり得ないが,個人的には,ゆるぎない真実であると思っている。
しかし,思い入れが抽象的レベルにとどまる限り,これもやはり,問題解決には役に立たないだろう。背に腹は代えられないということが自然の摂理であるならば,自分の給料をゼロにして,借金を続けてまで「教育のために」という理念を追求し続けるのは,少なくとも普通の人には無理である。

私たちは,なぜ続けるのか。どんなレベルの人でも,確実に学力を伸ばすためのメソッドを開発したいという強い欲望があるからである。これは,ノーベル医学・生理学賞を受賞した山中教授やその他の多くの科学者たちが,純然たる学問的情熱に燃えて世界的成果を追い求めていることに似ている。語弊のある言い方をあえてするならば,様々な学力・様々な資質を持った人にどうやって高い学力をつけさせることが可能か,というテーマについての壮大な実験を行なっているのである。つまり,「教育のため」の内実は,「自分のため,社会のため」でもあり,究極的には自分の欲求を満たすためでもある。

本気の指導は,その人だけでなく,自分と社会全体という最大の広がりをもった目的を内包し,進められることで,はじめて可能になるのである。







2012年11月8日木曜日

医学部受験はチョモランマか,富士山か?

表題の比喩的な問いかけに対する答えは「富士山」です。

どうして富士山なのか。

5合目から歩いてゆっくり登らなければならないが,あきらめなければ誰でも頂上にたどり着けるからです。

(チョモランマは,こうは行きません。下手をすると死ぬかもしれません。)

ただし,富士山は,きつい登山です。多くの伴走者がいれば比較的登りやすいかもしれませんが,一人だと,到底頂上にはたどり着けません。

回りに医学部を受験する人がたくさんいるような,超進学校の人たちは,集団で富士山を登っているようなものです。

独学で頑張る人は,一人で富士山登山をやるようなもの。

勉強以外で苦労しないためには,仲間と指導者を求めるのが,賢い戦略です。


学校の先生が,違うことを言うのですが・・・。

面接指導,とりわけ面接の前段階に必要な志願書(自己PR,自己評価書など)を指導している時に,たびたび問題になるのが,この質問のような「学校の指導方針」とのトラブルです。

志願書の下書きを,「プロの目で見てほしい」と言われて,数度にわたる添削を経て,やっと出来上がった提出書類。本人らしさを残しつつも,志願書の目的を達成するためにさまざまな仕掛けを埋め込んだ完璧なステートメントに出来上がります。本気で取り組むので,作業には,延べ5~6時間はかかります。
しかし,学校の先生からダメだしが・・・・

「アピールが足りない!」
「もっと具体例を!」
「熱く語れ!」

「てにをは」の直し程度ならいいのですが,担当の先生独自の視点での直しが入ると,
最初の目的・戦略から見てまったく正反対の代物が出来上がってきたりします。
仕事とはいえ,非常にがっかりする瞬間です。添削指導の甲斐なく,学校の先生の意向にしたがった願書を提出・・・というようなこともあります。

こういうトラブルを防ぐために,2人以上の人からアドバイスをもらう時は,「主治医」/「セカンドオピニオン」の区別をしっかりと立てて,どちらの役割を予備校に頼むか,学校に頼むか,を決めておく必要があるでしょう。

そして,「主治医」はぜひとも専門指導に特化した予備校に任せてほしいというのが,本音のところです。

毎年何人も医学部を受験するような進学校ですら,それぞれに特徴のある医学部ごとに見た場合の指導実績は少ないでしょう。
一方,私たちは,医学部・歯学部などの医療系学部受験のプロとして,年間100枚以上,10年近くに渡って,志願書のチェック,添削指導を行って来ました。事前の情報収集,OBOG等実際に受験した人や内部の方々からのヒヤリング,事後のフィードバックを含めて,相当なエネルギーを注いで準備とアドバイスをします。出願する人は,みなそれぞれの個性とバックグラウンドを持っていますから,「使いまわし」はできません。それほどの積み重ねと苦労があっての「専門指導」なのです。


このような指導が,数百人を相手に指導する場で出来るのでしょうか?徹底して関わってくれて,アドバイスが的確なら,それに越したことはありませんが,的外れなことも意外と多いのです。

志願書の内容は,イメージや日本語としての論理展開をきれいにすること,などよりも,何を話すか(何を質問させるか),何をアピールし,何を言わずに済まさせるかなど,面接でのアクションまで想定した,トータルな戦略の中で位置づけることの方がはるかに重要です。もちろん,先生から見た良い文章などの基準はさまざまあるでしょうが,受験校の試験の特性と受験生のアピールポイントの最大のマッチングを考えた上での一貫した戦略が必要です。


それでも,学校の先生の方針が重要であるという場合には,高校側に,予備校にも添削を依頼していることを前もって告げ,戦略の方向性をそろえておく必要があります。
指定校推薦など,学校長の推薦が必要な試験の志願書作成においては,学校側の意向を最大限尊重する必要があるので,とくに慎重な対応が必要です。

その場合,学校の先生には,生徒や親を通じて,予備校との協力を呼びかけます。先生のプライドを傷つけずに,きちんとしたコラボレーションができるように努力をします。このように,われわれ予備校の指導者としては,学校側と協力して,というスタイルを貫いています。
しかし,それでも,学校によっては,担当の先生の思い入れが強すぎて,独自のスタンスでの指導を譲らない時があります。とくに,国語の先生に多いタイプですね。こういう場合は,生徒と親御さんに頑張ってもらわないといけませんね。

医学部は,(高校生にとっては)学校と予備校と家族を巻き込んだ,協力ゲームにしていかなければ成功できないのです。